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ごあいさつ

こんにちは!管理人の“ぴかりぃ”と申します。 2000年春、いただきものの 実験マウスくん”ちゅ”と 暮らし始めたのをきっかけに、 このホームページを作りました。

飼い方などを求めてネット上を徘徊していたとき、「動物実験に反対している人たちもマウスやラットは救おうとはしていない。あのひとたちはは動物に階級を設けて差別しているのだ」といった発言を読み、「そんなことはナイゾ! ワタシが愛しているのはねずみちゃんダ!」とホームページを立ち上げることにしました。

といっても、当初はネズネズ親ばか日記中心だったのですが…すっかり「脱・動物実験」を主眼としたサイトになってしまいました?

余剰実験動物に 第2の人生を歩ませるべく 「ラボ限定里親探し」 の企画を立ち上げていましたが、現在は休止中です。

管理人情報

mixi:
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1319445

Twitter:
http://twitter.com/GoodbyeLab

ハンドル ぴかりぃ
同居ねずみ 友人のお姉さん宅で産まれたハムスターたちに始まって、「さよなら、じっけんしつ」した子達などとずっと住んできました。いまは元実験ウサギ(ダッチ)と暮らしています(^.^)
動物との暮らし 子供のころは金魚とかカエルとかばっかり。20代になってからゴールデンハムスター。これで一気に動物大好きに目覚めました。ネズミ一筋?(でも保護していたニャンコ・ワンコたちも忘れられません~(涙))
尊敬する人 ジェーン・グドール
趣味 ちまちま何か作ったり、 絵を見に行ったりするのは生涯の趣味だと思っていましたが、最近全くですね・・・。
ライフスタイル 肉食べない生活が25年近くになりました。当初、ビーガンもやっていましたが、その後、魚を普通に食べていた頃もありました。現在は、ビーガンです。

管理人にQ&A

このサイトを開いてから、複数の方々にたびたび聞かれたことナドナドに答えるコーナーです。

Q どうして「ぴかりぃ」ちゃんなの?
A

ええっと。実は。

ピカチュウからとりました。(子供か!?)

でも「pika」って英語では、ナキウサギのことなんです。ょっとうれしいポイントです(^^; でもパイカって読むんです(^^;

Q なにがきっかけでアニマルライツの世界に入ったの?
A 猫好き、犬好きから入る人が多い中、私はハムスターを飼い始めたことがきっかけでこの世界を知りました。(少数派かしらん)

その当時、ハムスターの飼育本などというものは宇田川龍男の『ハムスターの本』くらいしかなく、ハムの情報に飢えていた私は図書館でピーター・シンガーの『動物の権利』を手にとってしまったんです。(どうしてそうなるんだぁ!) 「ハムスター=実験動物」というあたまがどこかにあったのかもしれませんが、なんだか大きく「動物」って書いてあったし(笑)、まさかああいう内容の本とは思わぬまま読んでしまいました。

そして……とても衝撃を受けました。

小学生くらいのころ、「動物実験ってしていいのかな?」と居間の片隅で考えたことがあったのを覚えているのですが、「人間のためなのだから仕方がない」と周りの大人の言うがごとくに納得した記憶がありました。でもそこに書かれていたのは、ぜんぜん納得していない人たちのこと。こんなに必要ないんだ!こんなにひどいんだ!の連続。動物実験に反対している人がいるということを、初めて知りました。これはオドロキです。

印象に残っているのは、「手のないマウスはどうやって毛づくろいをするか」という研究のために手を切り落とされたマウスの写真です。

自然にそういう体で生まれた子を観察するならともかく、そもそもテーマ設定からして必要性がなく、かつ、残酷な実験。今こういうと当たり前に感じますが、きっと頭のどこかで「研究と呼ばれるものはすべて必要なものばかりなのだろう」と思い込んでいたのでしょうか、そういった考え方がとても新鮮に思えました。

実生活でも「動物との絆」とはこういうことかと感じるような体験をいろいろするようになって、ますます動物の権利に関心を持つようになりました。卒論もアニマルライツの人間中心主義批判の側面についての考察で書きました。今思うとつたない内容ですけど(^^;、1992年頃の話です。

「知らなかった」と思うことは人に伝えたくなる。それが多くの人の活動の根源ではないかと今でも感じています。

Q マウスって慣れるの?
A 慣れまーす(断言)。

研究室でよくされているようなシッポをつかんだりすることをしなくても、向こうから手に乗ってくるようになります。ケージに手を突っ込むと、ワラワラと寄ってきます。(お外で遊べるかなっ、という期待があるのだと思いますが……)

もしくは、ゴハンを期待しているだけかもしれませんが、声をかけたりすると、こちらへ来ます。「ン? ナニナニ? ゴハン?」ってな感じです。関心なさげなときもそりゃあるんですけど。

獣医さんすら「この子噛みますか?」なんて聞きますけど、実際には、思われている以上にフレンドリーになりうる子達です。

のりまーちゅ!

 

Q 動物実験反対の人はどうして哺乳類のことしか反対しないんですか? それにあなたたちだって細菌殺しているでしょ?
A

 そうか、あなたはサル、イヌ、ウサギと細菌が何も変わらないと思っているから、実験でそんなことができるんですね? 殺菌消毒するのと同じくらいの感覚なんですね?

 そう言われたら、あなただって血の通わない人のように言われた気持ちがするのではないでしょうか? だとしたらやっぱりあなたも、哺乳類と細菌ではどこがが違うと実感しているのではないでしょうか。私たちと同じです。(この感覚の通じない人もいるのかもしれませんが)

 また、何も動物実験反対派は哺乳類の実験ばかり反対しているわけではありません。カエルやフナの解剖も重要なテーマです。

 そして、これはヴァンダナシヴァさんが言っていたことに共感するのですが、gene gunの写真を見ればわかるとおり、細胞に対する暴力というものも存在すると私は思います。生命の誕生にかかわる細胞がgene gunで打たれている姿、まさにあれこそ、生命への暴力そのものと言えるでしょう。

 たまたま哺乳類は目に見えるし、誰でも写真がとれる。多くの人が写真によって「科学の暴力性」を直感的に理解できるのが哺乳類であるだけではないでしょうか。 今、動物実験の底辺にある思想が問題視されているのであって、少なくとも私は哺乳類だからということにこだわっているわけではありません。

Q ベジタリアンだって植物は食べるでしょう?
A

 私も、植物には植物で、わたしたちのうかがい知ることのできない痛みや苦しみがあるのではないかなーと思っています。
例えば盆栽は、海外では植物への虐待行為と受け止める人も多いそうですが、それに気がつくのにはやはりある種のあわれみのような感性が必要だと思います。

 つまり、動物の痛みや苦しみがわからない人には植物の痛みや苦しみはもっと想像がつかないだろうと想像します。

 同時に、植物も苦しんでいるかもしれないことを理由に、明らかに苦しんでいる動物たちの生から目をそらしてもいいとは思えないのが自分であり、また多くの、動物のことから入ったベジタリアンたちであるのではないかと思います。(人それぞれだとは思いますが)

 実際のところ、植物の気持ちがわかり、苦しみを取り除くために何かしている人がいるとして、その人たちの敵がベジタリアンであるわけでもないと思います。(その人たちも植物を食べざるを得ないからという宿命的な問題もありますが、)肉を食べないことによって、より多くの植物の消費を減らすことができるからです。
家畜たちを生かすために大量の植物が必要とされ、またわざわざ生産した穀物を与えている現実も考えると、むしろ植物のためを思えばベジタリアンになった方がいいことになってしまいます。

 そしてなにより実生活での実感として、上記の質問の裏にある心理は、“植物だって生物じゃないか”を言い訳に、動物、とくに身近な家畜の問題から目をそらそうとする心理が働いているのではないかということを感じます。もしほんとうに植物を含めた生命というものについて真剣に考え、何か行動したいならば、ベジタリアンに文句を言う前にしなければならないことはたくさんあるし、それについて語ってくれるはずだからです。

 と、ここまで書きつつ、ほんとうは、肉を食べていることを責められているように感じている心理が、ひねくれたことをいいたい気持ちにさせているのも知っています。

 何と言っても、昔私がそうだったので!(笑) なのでその心理はわかります。そういうタイプの人は、止めちゃうと楽ですよ~♪と、ここでまた誘わせていただきます、ハイ。

Q マウスとラットとハムスター、モルモット、どう違うの?
A

ええっと、非常に単純に図表化すると、、、

 

シッポ長ーい

シッポない・短い
体大きい ラット モルモット
体小さい マウス ハムスター

でしょうか!? あんまり説明になってないけど・・・

Q 動物実験の何がいけないと思いますか?
A

本人の意思に反して人体実験をすることは許されませんが、人間からはインフォームドコンセントをとることができますし、本人同意の上なら研究対象とすることができます。

けれども、動物からはインフォームドコンセントをとるということが根本的に不可能です。それなのに、命をうばわれるほどの侵襲的な実験が行われている点が最も間違っていると思います。

また、その動物がコンパニオンアニマルか実験動物かなどというのは、人間が勝手に引いた線にもとづく区別です。家庭で飼われている動物に対して行ったら動物虐待になることは、他の種類の動物に対して行っても動物虐待なのではないでしょうか。「実験動物はペットではない」というのは身勝手な理由に聞こえます。

Q 動物実験をどう減らしていけばよいのでしょうか?
A

私がときどき夢のように考えたりするのは、動物実験の総量規制です。「○○年までに動物実験を××%削減」という目標を規制値として設定することができれば、最も早い削減が実現するのではないかと考えます。(もしくは「使用される動物の数を△△%削減」であるとか)

そのためには今どれくらい動物実験がされているのかをまず知らなければならないので、数字の把握自体ができていない日本で何を言うかですが、方法論としてはあり得るのではないかと思っています。

古い話ですが、自動車の排ガス規制だって、無理な目標値が先にあり、それにあわせて自動車メーカーは開発にしのぎを削りました。そして無理な目標は無理ではなかったことが後から証明されました。

動物実験だって目標値があれば、代替法なり、数の削減なり、計画書の不承認なり、もっと真剣に減らす方法が検討されると思います。

動物実験にかかわる人には、「自分の研究は生き残りに値するか」を確かに考えてほしいですが、いずれ皆「自分の研究は必要だ」と主張するに決まっているので、ここはあえて「自分以外の誰の研究が生き残りに値しないか」を業界の中で指摘しあって考えてほしいとも思っています。