水棲の生物で安全性試験をしている研究所の方のお話を聞いたとき、ナノ粒子のちょっと怖い話を聞きました。


ナノ粒子には吸着する性質があるので、ミジンコで実験すると、ミジンコの体の周りに粒子が集まってくっついてしまい、ミジンコは動けなくなって死んでしまうのだそうです。つまりミジンコは、ナノ粒子の毒性によって死ぬのではなく、物理的に動けなくなることで死んでしまうとのこと。


ちなみに、ミジンコが死んだかどうかというのはわかりづらく、子どもを産まなくなったとき、死んだと判断するのだそうですが……体中にナノ粒子がくっついて動けなくなっているミジンコの図! ひょえーっ、ミジンコかわいそう!! と、とっさに思ってしまいましたが、でもそれだけではなくって、人間が次々と新しい技術を開発するがために、また動物実験がされてしまったり、環境に悪影響があったりするというのは、ほんとうにウツになりそうな事態です。


こんな話を思い出したのは、昨日、ナノテクノロジーと倫理についてのセミナーを聞いてきたからなのですが……。いつも感じることなのですが、倫理サイドの人と、なにかテクノロジーを産業としてプロモートしている側の人が同席してしまうと、なんとなく産業側の人の話の方が抽象的でなく具体的なので、そちらの言わんとする方向に引きずられてしまうところがあるということなんですよね。


たとえば、昨日なら、根本的な倫理問題が、ナノテクの国際標準化の話とかにすりかえられてしまっていました。(動物実験で言うなら、動物実験の是非そのもの論が、実験動物福祉論にすりかえられてしまう構図と似ています)


国際標準化は、ナノテク商業化を進めるためのものだと、はっきり演者が言っているのに、これは欲求不満な展開です。。。


そして産業総合技術研究所という、経済産業省直轄領でやっているナノテクの社会受容に関する取組み…。演者の人は、 「一般市民がナノテクについて知識がないので、それを埋めるために行なってるだけで、けしてナノテクをプロモーションするためにやっているわけではない」とおっしゃっていましたが、でもホームページを見るとやっぱりそれはぜんぜん違って、「社会受容促進のための取組」とはっきり書いてある。


官製リスクコミュニケーションは、たんなる産業プロモートにすぎないと、私はあちこち傍聴して感じますが、こうやって莫大な税金が産業促進に使われている図には、市民の非力を感じるというか、絶望すら感じます。


フランスの哲学の教授が、「今日は倫理の話でしょ?」って言ってたのが印象的でしたね……。技術がどんな影響をもたらすかなんて、人間の狭い知見ではわからない部分が大きいと思います。


それにしても……だいたい、ナノテク必要かなぁ? とくに化粧品ね…(sigh)。昨日も、ライオンの研究所の人が傍聴リストに載っていましたよ。動物実験されている化粧品、日用品、ほしくないってば。


そもそも、こういう技術がほしいかなんて、一度でも消費者は聞かれたことがあるんでしょうか。


勝手に作っておいて、安全性についてますます動物実験が必要だという風潮にはほんとうにやりきれないものがあります……。(ただ、実験しはじめたらきりがないのでリスク評価もできずに困っているようでしたけどね……)