ウチの子たちが眠っている動物霊園から、春の彼岸のご案内とともに、通信がとどきました。小さい紙に裏表の短い文章ですが、戦争の時代に生きた動物たちのことについての連載の第1回です。
知らなかったので特に驚いたのは、戦時中、中山競馬場でガス壊疽の血清製造のために500頭余の馬が犠牲になったこと。馬の世話をしたのは中学生たちだったそうなのですが、その凄惨な最期に関わって、生涯癒えない疵を負った、とありました。
調べてみると、毎日新聞の「馬殺害:旧陸軍の命令で500頭 千葉・中山競馬場」という記事に当たります。
「 担当の馬が殺される順番が近づくと、学生たちはみな食欲がなくなったという。採血作業は凄(せい)惨だった。前脚と後脚を縛られた馬はしばらく暴れたが、斧の峰で眉(み)間をたたかれるとぐったりした。約15分間でビーカー30~40本分の血液が抜き取られた。作業が終わり、脚をしばっていたロープをほどくと、馬は前脚二本で立ち、最後のいななきを残して絶命した。」
戦争の時代とはいえ、このようなことが若者たちの前で……。証言を残してくださる方に感謝です。「人のため」とされる多くの犠牲は、しばしばまるで隠されるかのように、実際が表に出てこないものだと感じます。
それにしても、今でも馬の血清は用いられているのではないかと思うのですが、どのようにつくられているのでしょうか。