最近、アメリカの霊長類センターの研究者が動物実験の有用性を説いたコラムを書いたのですが、それに対して反論が掲載されました。
(海外では)よくあることですが、まさにその霊長類センターで2年間潜入調査した人からっていうところが濃いですねぇ・・・アメリカ・・・。やっぱり多少嫌でしょうねー、そんな人から反論がきたら?? 「うそつくな」って感じだし・・・。
Why I protest animal research
http://www.oregonlive.com/opinion/index.ssf/2010/04/why_i_protest_animal_research.html
なぜ私は動物実験に抗議するのか
潜入調査のために、オレゴン健康科学大学(OHSU)の霊長類センターで2年間働きました。そしてそのとき見たものが、私を永遠に変えてしまったのです。
私は、その施設で、知性もあり、社会性も持ったサルたちを、個別の存在として理解するようになりました。今でもこの施設には4000匹以上のサルが残されていますが、毛の生えた試験管程度にしか扱われていませんでした。
現在、OHSUは、サルたちを群れケージに入れていると言いますが、私がいた頃から10年の間に、サルの数はなんと68パーセントも増えており、およそ1000匹のサルが、依然として殺風景なステンレスの檻に1匹で入れられたままなのです。
最近、OHSUのディレクターであるNancy Haigwoodがここで言っているように、研究を行っている研究者は、動物たちは「苦しむことはない」と主張していますが、私はその言葉自体に抗議をしたい。それは濫用であり、意味がありません。そのことが我々に理解を求めているまさにそのこと、つまり人間の倫理観というもの自体を抑圧するものだからです。
いかなる実験でも、行われるずっと前にOHSUのサルたちは苦しみます。いたいけな赤ちゃんのときに、革手袋をした手が永遠に彼らを母親からもぎ去ります。そして大人になるまで、彼らは長い間、檻で放っておかれ続けるのです。今では、こういったサルが人間とどれだけ近く、愛情を求める気持ちや仲間との交わりが深いところに届いているかがわかっているのです。
しかし、研究施設では標準的な飼育が行われるだけです。私が目撃し、ビデオテープに納めたものは、隔離された結果生じたさまざまな奇怪な行動でした。毛を引き抜いたり、赤ん坊を虐待したり、糞便を塗りたくったり、食べたり、自分の体を傷付けたり、ウツ状態になったり、研究が行き着くところは、まるでサルのファクトリーファーム(工場畜産の飼育場)のようです。
科学の名のもとに、サルたちは定期的に毒を注射されたり、摂取させられたり、薬物中毒にさせられたりします。そして、意図的に病気にさせられたり、侵襲的な手術や処置を施されたり、焼かれたり、ショックを与えられたり、絶食させられたり、水を絶たれたり、何時間も、何週間も、ときには何ヶ月も継続して、隔離されて体を固定され続けたりするのです。それでどうして、苦しまないと言えるのですか?
連邦から資金を受けている研究所に対しては厳しい規制があるという主張も、うわべだけのものです。実験に使われる動物の95%は、ラットとマウスですが、アメリカの動物福祉法の下での保護を与えられていません。OHSUでも、農務省は年に2、3日ほどだけで、めったに来ませんでした。しかも、私がいた頃にオレゴンの調査員だったアイシス・ジョンソン・ブラウン博士は、法律を実行させようとする努力を上司が支持しなかったので、不満が募って辞めてしまったのです。
他に注意が払われていないのは、企業内や、産業ベースの研究です。国が財政的に急激に悪化したために、自主規制は危険な提案だということが露見してしまいました。
そして、何の目的のためにこのように苦しめられているのでしょうか? OHSUは最近、サルが運動によって、食事制限だけの場合よりもっと体重を減らすと「証明する」研究を報告しました。驚くべきことでもないですが、このことは以前にも人間を対象とした研究で観察されています。ここでの研究の多くは、このようなもの、つまり研究のための研究であり、人間のためになるものはほとんど、もしくはまったく、ないのです。人々が知るようになればなるほど、動物実験が時代遅れで、無駄で、しばしば愚かで、納税者を騙すものだと疑うようになり、より廃止が近づくことでしょう。
だから、私は反対するのです。