先週、水族館のイルカについての過去の記事をいろいろ読んでいました。太地から行っているイルカもやはりかなりいますが、定置網にかかったり、保護されたりしたイルカも水族館に行っていますね。そしてびっくりしたのが、これからオープン予定の水族館の多さです。

京都市水族館(2012年春)
墨田水族館(2012年)
志布志湾海の駅(2011年4月1日) http://www.daikoku-hotels.com/uminoeki_2.html
松島水族館:仙台移転(2011年夏)
うみたま体験パークつくみイルカ島(2011年4月)
宮島水族館:リニューアル(2011年8月)
下関市立水族館「海響館」:イルカ畜養施設を新設予定

もしかしたらまだあるかもしれません。すでに日本に世界一ともいわれる数の水族館がありながら、こんなに新しい水族館が必要なのでしょうか。建築ラッシュだった頃の水族館の老朽化の時期がきているそうですが、そろそろなくす方向の議論はされないのでしょうか。特に、税金で運営されているもの。やめてほしい。

京都市の水族館の署名が始まっているそうですので、ぜひご協力ください。

ところで先日、『イルカを食べちゃだめですか? 科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐・光文社新書)を読みました。イルカ漁や太地町の様子などについては、ルポとして読まれたらよいのではないかと思いましたが、水族館のイルカについては、実体験や実証的なデータから記述する書き方から一転してトーンが変わって、自己流の想像や決め付けで書いている感が強く、非常に残念に思いました。(科学的根拠はないとも、ちゃんと書かれていましたが)

特に、「家畜になりたいですか? 野生動物になりたいですか?」の質問には、狩られる可能性があっても野生動物だと答えておきながら、そのページをめくったところにあるコラムでは、水族館はシャチへの恐怖を感じることがないのでイルカにとって安心できる場所だとか書いてあるのは、最も理解に苦しみました。家畜より野生動物に生まれたいというのは、シャチがいようが、水族館より海の方がいいと言ってるようなものなのに。大きな矛盾です。

また、適応能力があるからイルカを狭いところに飼ってOKだというのもよくわからない主張でした。人間も適応能力が高いから、それに近いイルカも適応能力が高いはずだというのはわかりますが、だからといって、なんでもやっていいわけではないですよね。人でもイルカでも。

だいたい、その論理だと、人間社会で監禁が犯罪であり、禁固刑が刑罰になっていることの説明がつきません。適応能力が高い動物には、適応するから何をしてもOKと考えるなら、人間の監禁も問題ないことになってしまいます。刑務所も意味を失います。

ずっと六畳で暮らせる人がいるという例えも出てくるのですが、平均的な人は、六畳に軟禁され続けたら「出たい」と願うわけですし、ウツ状態になったり、拘禁反応が出る人だっているかもしれません。少なくとも、ずっと六畳で暮らせる人がいるんだからお前もできるはずだと他者に強要するのは間違っています。水族館でも30年以上生きたりするイルカがたしかにいるけれども、平均的なイルカは違いますよね。もっと早く死んでしまう。

イルカ漁を擁護したいだけなんでしょうけど、だからといって本来は水族館まで擁護しなくてもいいのに、屁理屈を言ってまで擁護しないといけないのは、やっぱり経済的には水族館がイルカ漁を支えているのが実態だからなんでしょうね…。

水族館がイルカで儲けようとする限り、そして、その宣伝に乗せられて行く人がいる限り、イルカの不幸はなくならないんだな。せめて減らす努力がされていればマシだけど、これからもどんどん水族館を増やそうなんて、なんて時代に生きてるんだろう。

関係ないけど、最近、『鯨の哭く海』(内田康夫)まで読んじゃいました。太地町が舞台の推理小説です。実在のモデルが誰だかわかりやすい人物をこのように悪人に描いてしまって大丈夫なのだろうか、みたいなところがありました。そして機密費が捕鯨擁護に使われているという設定(笑)。(ま、誰でも思うことだよね) 

「大背美流れ」とからめているところは小説的に上手いと思いましたが、でも推理小説を読んだのが久しぶりだったので、どの殺しも、これだけで殺すかな~と感じてしまったり^^;。そんなことを言ってたら、推理物なんて読めませんけどね。どちらかというと、反捕鯨の人が溜飲下げる結末です。(あっ、ネタばれになってないよな、これ? たぶん大丈夫…)