すいません、忙しいとかいろいろな人に言って、しかも仕事もほっぽらかしてピーター・シンガーの講演会@東大へ行ってきました。すいません・・・ブログでばれますね・・・。


大学の単位にもなるのでしょうか、会場は学生さんたちでいっぱいでした。先生方と思しき方々も多く、動物の関係の人たちもちらほら。皆さまお疲れ様でしたm(_ _)m


ピーター・シンガーといえば、私にとっては「動物の権利」「動物の解放」の人、というのが真っ先にありますが、やはり予想どおり、主催者側にとってはあくまで「生命倫理の専門家」というスタンスでの講演会だったと思います。おそらくですが、動物の活動に関するシンガーの業績については、あまり知らない人たちの主催だったのではないかと感じました。


というのも、最後に、「動物の命を奪うことよりも、動物が生きている間の苦痛の方が問題だとあなたは考えているのか」という質問が出たときに、東大の先生と思しき人で「それはここ(レジュメ)に書いてあるから!」と明らかに質問を止めさせようとした人がいましたし、司会者も質問者が言っていることの意味がわからないと発言していました。(ありゃ、ソレがわからないんじゃ、ほんとに動物の問題には関心がないというか、読んですらいないのね・・・と思います)


しかし・・・、メインのお話は英語オンリーだったので、なーんとなく間違って受け止めているかもですが、なんだかシンガーの話自体もなんだかそういう先生たちの雰囲気に引きずられていたように感じました。


動物についてはむしろ、人間と同じような意識を持っているかどうかを重要な判断基準にしていることなどが語られたので、なんだかこれだけを聞いたら、むしろ意識を持たない動物に対しては冷たげな人に受け止められたのではないか・・・?と感じました。苦痛を感じる能力があることも基準で、そこも語られてはいたような気はするのですが、どこまで会場に伝わったのか?という感じです。(これは英語のわかる友人も言っていたので、多分そうなのでは・・・と思うのですが、どうでしょう??)


また、人間の生命に絶対の尊厳をおいていない(というか、人間の中でも切捨てがある)点で、これは生命倫理というよりは、むしろ単なる合理主義ではないのか?とさえ感じる部分がありました。そういえばシンガーって功利主義の人だったのよねという感じがヒシヒシ。


私も人間の生命だけに突出して尊厳が認められているのはおかしいとは思っているのですが、しかしまたそれとは別に、人間の中での命の切り捨てには違和感を感じます。あくまでケースバイケースなのはわかるのですが。


生命倫理というのは、どこかで命に優劣をつける作業にならざるをえないのでしょうか? そういう学問だったのかな? 優劣をつけない世界というのがどういうものか、そのことに答えを持っているわけではありませんが、正直な感想です。


ES細胞に意識はないから別に壊したりしても問題ない、みたいな話もあったような気がするのですが、やはりどこかそれも「西洋流」を感じました。私も、「ヒト胚=ヒト」だとは思わないので、人間の尊厳を根拠にヒト胚をいじることに反対をするわけではないですが、ただそういう「いじくりまわし」みたいなこと自体に危機感をもっと持たせるための生命倫理が必要なんじゃないかと感じます。


学生さんたちは面白いことをいろいろ聞いていたと思います。


個人的には、著作を通じて人生に多大なる影響を受けた人物なので、一目拝みに行きたいという気持ちが強かった一方、がっかりすることもあるのではないかと怖い気持ちもありました。なーんていうのか、例えるならば初恋の人の消息は気になるけれど、会ったらがっかりするんじゃないかしら(ドキドキ)みたいな感じでしょうか??(←変な例え)


そしてやっぱり、ヴィーガニズムとか、非暴力・不殺生などとはまた違った論理であることを感じました。別に著作を読めばわかることなのですが~。(あ、でも仏教がよいと思っているわけでもないので、念のため。なんとなく東洋と西洋の違いを感じただけです。)


動物が人間社会のあり方のために苦痛を感じていること、その事実を広めた点でものすごく功績のある人だとは思っているのですが、例えるならば「お父さん、いままで育ててくれてありがとう、幸せになるわ」という感じがしなくもありませんでした。(って、変な例えばっかり、スイマセン。素敵な方だったから~、かも^^?)