イヌネコにしか心を開けない人たち (幻冬舎新書)イヌネコにしか心を開けない人たち (幻冬舎新書 か 1-2)



 以前はけっこう面白く読んだ香山リカなんだけど、最近はすっかりご無沙汰。久しぶりに新刊を手にして、まだナナメ読みなんですが……面白いテーマではあるものの、ほかにもいろいろある「そうそう、私もそう」っていう香山リカ本ほどの面白さは感じませんでした。(「ねずみにしか心開けない人」が出てこないからとか、そーいう理由じゃないョ(笑))

動物がテーマになっていて初めて、あっ、そうか、ほかの本も極端な例を面白おかしく取り上げて構成されてただけだったんだな、って逆に気がついてしまったかも…。

そして…この人に至っても、アニマルライツを「動物愛護」って書いているのが、ちょっと~(@@;(ピーター・シンガーまで読んでるのに~) わたしはやっぱり、アニマルライツと動物愛護はまったく別物だと思うんですよね…。「動物愛護運動が過激化したものが、毛皮反対運動や動物実験反対運動」っていう考え方は、それぞれの特性を敬ってないように感じてしまうし。

といっても、そりゃやっぱり著者は医者だから、動物実験反対運動なんてイコール暴力的な運動のように書いておかないと同業者の目もあってマズイのかもしれないけど、でもきっと、著者のいる世界になんとなく浸透している、フィルターのかかった運動の姿が、ここに書かれているものそのものなんでしょうね。ターゲットになっている製薬企業の薬だって処方するだろうし、どちらの目を通して見ているのかは明らか……。

ほんとにいつもこういう文章を見て思うのは、イギリスにだってSHACのやり方は間違ってると思ってる活動家はいるし、アメリカにだってPETAのやり方は嫌いって言ってる活動家はいっぱいいるわけで、極端な例をみて活動に入るのは危険だと断言するのはいかがなものかと思います。

…と、そこがやっぱりひっかかったけど、ほんとは一番信じがたかったのは、イヌやネコを保護することに対して「今のところは誰からみても批判されない」とか、「絶対的に善とされることのひとつ」だとかあったところです(^^;; 犬や猫の愛護すら激しく攻撃されることがあるし、やっぱり「動物より人間」こそ善だと思っている人も多いと思うのですが…。客観性を失っているのはいったいどちらなのでしょう。

ついでに言えば、人間関係でこじれたり、対立構造があったり、ほかの団体の批判に終始したりというのは、動物の運動に限らず、海外支援運動だろうが、環境運動だろうが、政治運動だろうが、あらゆる分野の活動に起きていることで、動物の運動だけが特殊なわけではないです。(もちろん伝聞、耳年増)

あーほんとに、動物にのめりこむ人の心理分析も面白いけど、私が心から望んでいるのは、動物実験を職業として選択した人たちの生い立ちや心理的傾向の分析です。どんな実験方法を好んで選ぶかにも、私は深層心理を探りたいものを感じてしまうのです……