海外のニュースをいくつか立て続けに翻訳して投稿していますが・・・最後の2つ(バーチャル人体とマイクロドーズ)は、「薬物動態なんかは動物でないと絶対だめなわけです」みたいな定番な発言にちょっと異論を唱えたくて訳したのもあります。一般の人には絶対ダメと思われているものでも、案外専門家の世界では削減くらいはできそうな技術のアイデアはすでにあったりするんじゃないか…という気持ちがすることがけっこうあります。
日本もたぶん、サイエンスの世界は負けず劣らずついていってると思うんだけど(あ、日本がリードしてる分野があったらこの言い方はごめんなさいですが)、それが「使う動物を減らすことにつながる」という視点で、メリットとして社会に受け止められることが少ないのかな・・・という気がして寂しいです。報道もそう。
代替法って、例えば6割しかヒトと動物で結果が一致しない分野であれば、6.5割や7割の合致率の代替法ができれば、それはものすごいことのはずなのに、なぜ人は代替法になるとどうして、「100%のものがつくれるわけがないからダメだ」という発想になるのでしょうね??
「100%でなければダメ」という論理なら、それこそ「動物実験はダメ」ということになるはずなんだけど。なぜかそこはそうはならない。(どうして?)
何か、動物を使った「御毒見」のほうを生理的に信用しちゃうみたいな、多分に心理的なものもあるのかなと思ったりもしつつ・・・、「動物は完璧なヒトのモデルじゃない」ということが広く知られている社会で初めて、「代替法も100%じゃないけど受け入れよう」という覚悟ができるのかな、なんて考えちゃったりしました。