『学問の暴力』
ストレートなタイトルに思わず手をとりました。
墓をあばいて遺体や骨を持ち去ることは、法律的にも犯罪ですし、感覚としても許されない行為だと思います。少なくとも日常的な世界では。
でも、「学問のため」という理由がつくと、なぜか公然と行われてしまう・・・。このおかしなダブルスタンダードについて、とても考えさせられる本です。もちろん背景にはアイヌに対する民族差別の問題があるわけですが・・・。
驚いたのは、一番最初の遺骨盗掘事件は、一応「犯罪」として扱われた経緯があったらしいことでした(一応)。けれども、「学問」というものがだんだんと認知されていくと同時に、皆の感覚が麻痺していく・・・わけですね。
そしておそらく、「骨の計測なんて個体差もあるし学問としてどうなの?」という時代になって、やっと問題として声をあげやすくなってきたのではないでしょうか。
学問のためなら何をやってもいいのか? この問題提起は、動物実験にも通じるところがあると思います。
しかしそれだけではなくて、アイヌの人骨研究をしていた中には「北海道大学医学部動物実験室」があった。驚くべきことですが、そういう直接の意味合いでも、問題は関係しているようで・・・驚きます。
日本では古墳の発掘が許されていないことなんかを考え合わせると、学問の対象というのは、実は科学的根拠によって選ばれているわけではなくて、単に「やりやすい相手」に向かっているだけなんじゃないかという気がします。
関係ないけど、ラットが出入り口をかじった木の小屋を写真に撮ってアップしようと思ったら・・・もう処分しちゃってまして、残念。(なぜそんな写真を見せたいかの理由は・・・本書を読むとわかります(^^;;)