ブタさんが救われる日はくるか?
6月11日は、お昼から自治医大のピッグシンポジウム、そして夕方から同じ会場で東京財団生命倫理サロンの市民公開シンポジウム「ブタは日本を救えるか?」でした。
一度採択されず実現しなかった実験用のブタの繁殖利用センターですが、それをやはり東北につくりたいと動いている研究者が、市民の理解を得て進めたいとして開催されたものでした。
この手のものは開催したことだけで「理解を得た」というアリバイ作りにされるのが常なので、その口実に対しては不信感はありますが、まあ比較的オープンにして議論したいというのは珍しい方なんだろうな…とは思いました。
といっても、やりたいことがヒトとブタのキメラ作成ですから、そりゃ議論しないとまずいだろうとは思いますが……。そのほか、実験動物福祉や情報公開を含めて論点が多すぎるので詳細は後日別の場所に書きたいと思っていますが、一応ブログにも記録しておこうと思いました。
一言何か言うとしたら、やらなくていいことのためにブタを使っておいて、ピッグセンターつくれば削減につながるんだという論理はちょっと理解できなかったです……という点でしょうか。
当日は、長丁場な上に、要するに「ブタをこんなふうに使ってます、これからどんどん使いたいです」という話だったので、(2回もながなが発言させてもらって言うのも何ですが^^;)ストレスたまりまくりでヘロヘロになって帰って来ました。(単にクーラーのせいかもしれないけど、だるくて歩けないレベル…)
いろいろなブタの実験の写真・動画・イラストも見てしまいましたが、実習では、ブタを殺した後に必ず黙祷をささげるという話もあり、ぐるりと取り囲んで手を合わせている人間たちの真ん中に、死んでいるブタさんが映っている写真もありました。
遠目に見たせいか、ブタさんは、まだ死んだのもわからなくてキョトンとしているようにも見えました。
帰ってきて、なぜか寝る前に思い出されてならなかったのは、この作品です。(うなされそう)
会場に置かれていたブタさんの頭部は、蝿などたかりようもなく、きれいに骨格標本にされていましたけどね……。
語るとしたら、何を語るだろうか……。
(『蝿の王』は、人間の本性というものを深くえぐった作品で、お勧めです。このダークさに、私はものすごく納得できるものがありました。しかしまた一方で、この社会には、実は日常的に規範というものが強く作用しているのだということも実感できる結末となっているのではないかと思います。)←完全に話がそれてますが^^;