ツイッターで知ったのですが、アジア女性資料センターと、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所基幹研究「アフリカ文化研究に基づく多元的世界像の探求」の共催で開かれた、映像とトーク「『標本』にされた先住民族女性~サラ・バールトマンの生涯と『帰還』」というイベントに行ってきました。
映画上映があったせいか、お話があっという間に終わってしまってもの足りないくらい、興味深い内容でした。案内から転載させていただくと、下記が概略です。
 今から200年ほど前、南アフリカの先住民族コイコイの女性サラ・バールトマンは、ヨーロッパへ連れていかれ、「ホッテントット・ヴィーナス」として、各地で見世物とされました。彼女の死後、遺体は解剖され、脳と女性器はホルマリン漬けにして保存され、骨格標本・蝋人形とともに、パリの博物館で1970年代半ばまで展示されていました。

 南アフリカの民主化とともに、サラを「人」として取り戻そうとする機運が高まり、2002年、フランス政府が返還に合意し、サラの遺骸は故郷に埋葬されました。

 南アフリカの映画監督、ゾラ・マセコ(Zola Maseko) による映像を見ながら、植民地主義と人種主義、ジェンダーがひとりの女性の身体のうえにおよぼした暴力と、認識の転換、そして歴史的正義に向けた道のりを考えます。
映画は”The Life and Times of Sara Baatman”というタイトルで、まだサラの遺体が南アに返される前のところで終わっていました。これには返還後、埋葬までを追った続編があるとのことです。
ふるさとから連れてこられて見世物にされたり、同意もなく解剖されたりするのは、「まるで動物と同じ」ですが、途中、ロンドンからパリに移ったときに、本当に動物の調教師に売られた話が出てきて、ショックでした……。
200年前には、人間にも同じことをしていたんですね。
でも、現代の「人体の不思議展」も、実はこれと同じじゃないの?という指摘には、会場が大きくうなずいていました。私もそう思います。
サラはまだ記録がいろいろ残っているけれども、他にも無数の人たちが、生きたまま連れてこられて見世物にされたり、または遺体を掘り起こされて標本にされたりしてきたそうです。博物館には、山のようにそういった人たちの頭蓋骨があるとか…。
南アはサラの帰還でむしろ一段落している感じらしいですが、他にもいろいろな国が、同じような境遇の遺体の返還を求めているそうです。
ところで、フランスでは、高名な科学者たちがサラの女性器を見たがったそうですよ。コイコイが人間なのかサルなのか(!)、それがわかるのが性器だという「科学的」理由で、女性器に執着していたんだそうです。(なんでそうなるんだか。見たいだけだろ?って、当時でも思った人、いると思うな…)
彼らはお金をつんで、彼女の足を開かせようとしたけれども、彼女は生きている間は足は開かなかった。でもたった25歳で彼女は亡くなって、科学者たちは、彼女の女性器を見ることができた。それだけではなく、解剖で切り取って標本にしたっていうんですから、あーほんとに、ジョルジュ・キュヴィエって、変態エロジジイだったんですねっ!!! ┐(´へ`)┌
サラの死後、遺体から型を取ってつくられたという蝋人形の顔は、まだ幼さが残っているような気がしました。どんな気持ちで屈辱に耐えたことでしょうか。
クロード・ベルナールといい、フランスの科学者の精神構造って一体……と思わざるを得ないです。
しかも、解剖の診断書には、死因は書いていないくせに、女性器について偏見にみちたことが書かれているそうです。
もしかしたら本人も、本気でそれが科学だと思い込んでいたのかもしれないところが始末に悪いですが、映画では、「サイエンティフィック・レイシズム」という、高尚な批判の言葉が使われていました。(私はもう、「変態エロジジイ」レベルの単語しか出てこなかったですよ。呆れた。)
その当時は大真面目に「科学」と考えられていたことも、200年も経てば、ただの蒙昧、偏見であり、性欲や暴力の形を変えた発露でしかないことはいろいろあるわけですよね。
ということは、今はマジョリティが正当で科学的と考えていることも、それは、あくまで現代の文化的背景の中での価値判断でしかないのだと思います。
というところで、私の頭の中では動物実験につながってくるわけですが。
私には聞き取りにくい英語だったので、キュヴィエが解剖した動物たちなのかどうかよくわからなかったのですが、フランスの博物館にはたくさんの動物たちの骨格標本に混じってキュヴィエの像がありました。
会場からの質問で、動物の剥製については同じような運動はないのかという質問があり、ちょっとうれしかったです(;;)
たしかに、動物を見世物にするなとか、解剖するなとか、生きた動物に対する権利運動(動物の場合、「解放運動」というと、檻から放すことだと勘違いする人がいるので、あえてここは権利運動にしておきますが)はあっても、剥製や骨格標本に対して尊厳の問題を訴えるところまでは、行っていないかもしれないですよね。
剥製が嫌いな人や飾ることを批判する人はたくさんいるけど、返還してもとの野生の大地に帰すべきという運動はまだ聞いたことがないような気はします。(あったら教えてくださいm(_ _)m)
でも、略奪されて、どこか遠い国で見世物にされ、剥製にされた象徴的な動物。どこかにいそうですよね。
運動の余力はそこまではないけれど、本当は帰してあげたいな。
(ただ、動物の場合は新たにどんどん生きた動物が殺されているので、死体で勉強できることはしてね…というところもあり、微妙です。自由に生きて自然死した動物の死体が、生体解剖の代替として提案されているくらいですしね……)