“献上”だったのですか
熊本市の動物愛護センターのことは既に多くの報道もあり、世の関心も高いことなので、この本を特にブログに書くつもりはなかったのですが、読んだら急に気持ちが変わりました。
というのも、熊本市が犬猫の実験払い下げの中止にいたる経緯についても触れられていたんです。具体的には「動物の命は社会の“献上物”か?」の章でした。
これ……すごいタイトルですよね。“献上物”というのは、払い下げ先の研究機関が使った言葉だそうです。
「払い下げ」という言葉が使われているし、私はてっきり、ずっと“下賜”なのかと思っていましたよ。
でも研究者は“献上”されている立場だという意識だったのですね。
だから、払い下げられた犬をどのような実験に使っているのか、市に知らせる必要すらないという態度だったわけですね…。
廃止になったときに払い下げていた先ですから、熊本大学ですよね。(あっさり書くなよ)
市の職員が愛護団体と大学との板ばさみに苦しんだ話として出てくるのですが、でも、払い下げ中止が英断だったことは間違いないと思います。
なぜなら、実験払い下げが続いている状況下で、「熊本方式」の確立はありえなかったはずだから。
もし「殺処分はゼロに近づけていますが、実はけっこう動物実験施設に引き取っていただいてます」なんて実態があったとしたら、それは動物愛護ではないし、こんなにマスコミがとりあげるような話ではないですね。譲渡に大きく舵を切れるのも、払い下げがなくなったことと無関係とは思えないです。
もはや動物愛護の世界も実験払い下げを知らない世代が出現していて、それはすばらしいことですが、今、その犬、その猫が実験に行かずに自分たちが行政から引き出せるのは、過去の払い下げ廃止運動の恩恵を受けてのことかもしれないということは忘れるべきではないと思います。
個人的にはもうちょっと、そのことの重大さについて言及してほしかったかな、という印象は持ちました。
でも、想像したより詳細な本だったので、お勧めです。
(ただ、この章のGLPの説明はなんだかおかしいし、「二000万頭といわれる実験動物の譲渡」とあるのも、実験動物全体の数ではなく譲渡が二000万頭なのかと誤解されそうな表現で……いろいろ細かいところは気になります。)