第二回精神薬の薬害を考えるシンポジウム
遅れて参加したのですが、行ってよかったです、「第二回精神薬の薬害を考えるシンポジウム」。盛りだくさん過ぎて、どこから書いていいのかわかりません。
不眠をまったく感じない人より、少し感じるくらいの人のほうが長生きしているとか、睡眠キャンペーンをやって精神科の受診につなげた富士見市や静岡県でキャンペーン開始後に自殺率が高まったとか、DSM-Ⅳ編纂の責任者自身が、その後「精神疾患の定義などないんです、たわごとです」と言っているとか…。もうすぐⅤが出るけど、その編纂に係わる人たちは製薬会社から利益供与を受けている人が多くて批判を受けているとか…。
多剤大量処方の現実も、絶句します。こんな治療をやっているのは日本だけなのだそうです。日本ではモノアミン仮説がまだ言われるが、海外では主流ではなくなってきているという話も出てきたので、やっぱり本当にそうなんだな~と思いました。
副作用によってお子さんを亡くされ、医師に対して裁判をされている方の話は、涙なしには聞くことができません。いかに有害・不必要な精神医療が行われているか、それによって若い人たちが人生に多大な影響を受け、さらに幼い子供たちまでが深刻な被害を受けている例まであるのは本当に悲しいことです。
しかしこの薬害問題については、何となく正面切って取り組まれることが少ないような気がします。この問題を扱っていると、攻撃してくるのは精神科医ではなく他科の医者だという話もあったので、処方しているご本人たちはある程度どうしようもなさを感じているのではないかと思ったりするのですが…。
システム全体を変えないといけないけれども、既にあまりにも規模が大きすぎてだれも責任をとれなくなっているために止めめられなくなっている、という話もありました。
精神薬が、ある人たちにとってはとても都合のいい薬であるのは、
・病気でないものを病気と宣伝することで患者数をふやすことが容易。
・本当は副作用でも、病気が悪化して新しい症状が出てきたかのように医者が言うことができてしまう。(もしくは本人にもわからない、断言できない、悩む、続けざるを得ない…)
この二つなのかな…と感じます。
浜六郎さんは、薬害がなくならないのは、しょうもない薬がいいかげんな評価で出てきてしまっていること、そこが全ての始まりと言っていました。そして、精神科の薬には変なのが多いとも。
動物実験の話もされていましたけど…。
パキシルは「動物実験で死亡が出ていない」とされているそうですが、実際にはサルの実験で1匹突然死しており、その補充後に死んでいないので「死亡していない」とされているのだそうです。
ますますよくわかりません、動物実験…。
何のためにサルは実験で犠牲になったのでしょうか? 都合よく解釈する製薬会社様のため?
もしや犬死に?
(サルだけど……。)
あと、ヤバそうだったのは「デプロメール+ジプレキサ」の併用の話でしょうか。問題ある処方だとずっと前から言われているのに、未だに行われているのだそうです。
最後に断薬・減薬にとりくまれている内科医の内海聡さんは、「精神科には行かないでください」とまで言っていました。す、すごい。私ですら一瞬極論に思いましたが、でも考えてみれば、「自分で『行く』と判断できて行動もできる人は深刻ではない」という意味では当たっているのでしょうか。
さっそく本を1冊買ってみました。今ここ↓まで読みました。
グラクソ社の重役、ボニー・ロッセロは、動物実験をせざるを得なくなった場合の会社の対応として、「ダメでも結果は隠せる」と、一九九七年のメモに記していた。
この本より↓