翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

  • 作者: 柳父 章
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/04/20
  • メディア: 新書

12月10日は、国際アニマルライツデー。
偶然なのですが、資料を整理していたら、昔買った新書が出てきました。この本の中に、英語のrightsの訳を「権利」としたことは、誤りだったという逸話が出てきます。
そもそも英語のrightsは日本語にするのが難しい概念だったようですが、「ちから」の意味がある「権」の文字があてられてしまったことは一つの不幸でした。英語のrightsには、そういうニュアンスはない。むしろ力とは激しく対立する意味の言葉だとあります。
確かにrightsは、生まれつき自然に備わっていると考えられているところのものであって、力とは違いますね。「理」「筋」など、道徳上の正しさを表す言葉のほうが本当は近かった。福沢諭吉は「通義」と訳していたそうです。
しかし、おそらく当時の「民権運動」が求めていたものが「力」だったために、「権」という誤った語が受け入れられ、次第に「権」には英語のrights的な意味と2つが混在するようになっていった。
そのことによって、rightsの示すところの意味が理解されてきている現在においても、「権利」という言葉に、力づくの押しつけがましさが感じられることを著者は指摘しています。
このことは、英語文化圏の哲学がanimal rightsの概念に到達し、(それが支持されているかどうかは別にして)言葉としてはそれなりに自然に流通しているように見えるのに対し、日本では未だに反感をかう感じがすることと無縁ではない感じがしました。
というより、「人権」ですら、押しつけがましさを感じるのが日本人かもしれないですね。
そう思うと、本当はanimal rightsとはどう訳されるのがベストだったのだろうとも思います。
いろいろ考えていると、自分が本当にrightsの意味を理解しているのか、だんだん不安になってきますが、動物が動物らしく生きる自然の理とか、正当さ、といったもののほうが近いのかもしれないですね。
かつて、動物実験反対で菜食でも「動物の権利なんて、大嫌い」と言っていた著名な活動家の方がいましたが、もしかしたらこの日本語の呪縛に囚われていたのではないかとも感じます。その方は、そもそも「権利」といった西洋的な思想が受け入れがたく嫌いだったのですが、今この訳語の不適切さを考えると、本来のrightsの意味を知っていて嫌っていたのかどうかはわからないとも思います。
そんなことで、明治の先人を少し恨めしく思ったりもしつつ、12月10日を迎えました。