「動物実験の代替法」からの脱却を 第27回日本動物実験代替法学会
今年も、動物実験代替法学会が終わりました。
「過去からの脱却と未来に向けたキックオフ」という大会テーマの通り、科学的な部分では、海外と同じように動物から脱却した新しい予測手法の構築へ向けた動きを感じさせるものがあって少しときめいてしまいましたが、むしろ倫理がテーマのところで「昔と同じ堂々巡り、全然過去から脱却してないじゃん」を感じてしまうところがあった3日間でした。
シンポジウムのときバラされちゃったので言っていいのだと思いますが、今年からは正会員としての参加です。
(これがね、シンポでは簡単に入れるかのような感じだったから、あえてそのままにしておくために何も言わなかったんだけどね、ホントはね、なぜか愛護の人は大変なのね。でもこれからはどうなるのかしらね、変わってほしいわね、でも大丈夫よね、今日の展開だとね(心の声ブツブツ…))
まあそういうこともあって最後発言しなかったのですが…ちょっと後悔。
やっぱり発言すればよかったと思ったのは、もはや海外の動物保護団体も「動物実験の代替法を」とは言っていないということについてです。例えば、私が仕事としてお手伝いをしているHumane Society International (HSI) も、「動物実験を代替してください」という言い方はしません。
どう言っているかというと、「ヒト生物学を基盤とした新たなアプローチをとってほしい」と言っています。
以前からず~っと言っていますが、動物実験自体が人体実験の代替法なのであり、動物実験の代替法が必要なのではなく、人体実験の代替法が必要なのですよね。
人体ではどうかということについて、(動物を介在させずに)直接予測するための新たな手法が必要なのだと思います。
自分も代替法という言葉は便利で使ってしまうので難しいところですが、動物実験と同じものがほしいわけではないというところは意識していないといけないのかなと思います。チャレンジコンテストが人間以外の生き物から脱却できないのも、この根本的な目標がちがうからだと思います。
また、今回の大会では、代替法に限界があるということがしきりに言われていましたが、そもそも動物実験にも限界があることも忘れていませんか?と思いました。動物だろうが、動物でなかろうが、人で試す以外の方法で、完璧なものはあり得ないだけだと思います。
(現状、医薬品で人で臨床試験をやって動物実験が当たりだったものは1割ないですが、「ALL動物実験ではない方法の組み合わせ」で例えば3割くらい当てるようになったら、どちらにシフトするんでしょうね? TGN1412のような例もあるから、動物実験で危険なものははじけていないわけですし)
ヒトの生物学をベースにした科学という方向性で言えば、たとえば、今回の学会2日目、資生堂の安全性担保の体系についてのシンポジウムがとても象徴的で面白いと感じたのですが、あれは、求める先に動物はいないのですよね。あくまで「人間で安全なのかどうか」というところを、動物を根拠にせずにどう担保していくかという体系の構築なので、「この試験法は、この動物試験の代替になるか」という視点しかなかった過去からの脱却を感じました。
もちろん現時点では化粧品だからできるという側面はあるとは思うけど(人に暴露経験があるものの中から選ぶといっていたし、作用が緩和であろうものしか選べない)、でも医薬品も含めた今後の安全性保証のあり方に無関係か?というと、やはり先取りでやっているところはあると思います。
倫理のシンポジウムでも、むしろ、研究者のほうからパラダイムシフトという言葉が出たけれど、「動物実験の代替法」を求めている限り、動物実験の呪縛から逃れられず、「でも動物実験は必要だ」の昔ながらの「宗教」を呼び寄せてしまうのかな、と感じました。
そういう、「過去からの脱却」が全くできていない場面がチラホラあったことは残念でした。
が、日程が重なっていた環境変異原学会には、ハンチントンライフサイエンスの人が来てた(はずだ)し、多分こんなに「進んでる」のは代替法学会だけだろうとは思いますが。(最先端のことは他学会でもやっていると思うけど、動物の犠牲を減らす目的が意識化されてない可能性大)
でも科学が進んでも実際の規制が変わるところまで考えると、ものすごく時間はかかりますよね。そういう意味では規制当局と距離を置いている感がするのは残念ではあります。
唯一来ていたPMDAの人も、予測体系の考え方については、すごいカッコいいことを言っていたんだけど(ただし動物実験もアリだけど)、では実際に業務にその考え方が反映されているのか?というところは質問したかったところです。
でも手をあげても当ててもらえないし、今回、そんなことばっかりで、何だか前より門戸が狭くなったような感じでした。